どれくらい、私たちは抱き合っていたのだろうか。
直哉さんが月を見上げながらゆっくりと起き上がった。
直哉
「なんか……ごめんね。情けない部分、見せちゃった」
どこか照れくさそうに言った直哉さん。
けれど、弱音を吐きたくなるのもわかる。
今まで当然に出来ていたことが、出来なくなってしまうかもしれないのだから。
ハナ
「あの、直哉さん……いいですか?」
直哉
「ん? 何?」
ハナ
「実家に戻ってしまえば、活動は制限されてしまうかもしれませんが……お金が無くては何も出来ないと思うんです」
直哉
「え?」
ハナ
「貧しい人を救うには、どうしたってお金がかかるんです。華族や政府に楯突くような風刺活動じゃなければ、きっと直哉さんのお父さんも考えてくださるんじゃないんですか?」
直哉
「風刺活動じゃなければ?」
ハナ
「そうですよ。一度、お父さんときちんとお話してみてはいかがですか?」
直哉
「親父と……話……。そう、だね。ハナちゃんの言うとおりかも。俺、松乃宮を潰すことがずっと頭にあったから……結構目立った行動しちゃってたけど、今はそうじゃないもんね、話して……みようかな。その時はさ、ハナちゃんも一緒にいてくれないかな?」
ハナ
「え?」
直哉
「俺1人じゃ親父ときちんと話せる自信無くて……なんて、また情けないこと言っちゃったね」
ハナ
「情けなくなんかないです! 私で良ければ、一緒にいますよ」
直哉
「ハナちゃん……もうっ本当にいい子だね」
泣きそうな笑顔を向けた直哉さん。
私に向き合うと思い切り体を抱きしめた。
何度目かの抱擁に、気恥ずかしさはあったけれど……不思議と安心した。
それから、私たちは直哉さんの実家である稲山家を尋ね……そうして、何故か今では私と直哉さんが酒問屋を切り盛りしている。
直哉
「ハナちゃん、料亭月宮に卸す種類間違ってない? いつもより多いよ」
ハナ
「ああ、この前、月宮の女将さんとお話して、取り扱っていただくお酒の種類増やしてもらったんです。より細やかなお客様好みの味を取り揃えたいとおっしゃっていたので、いくつか提案してみたら買い取ってくれることになって」
直哉
「……おみそれしました」
目を丸くしてそんなことを言った直哉さんは、ペロリと舌を出し私を見た。
直哉
「はぁ、ハナちゃんすごいね。ハナちゃんがここに来てから売上が急上昇だよ。親父も母さんも驚いてる」
ハナ
「お役に立てているなら何よりです」
直哉
「ハナちゃんって、商才あったんだね」
ハナ
「商才……なんでしょうかね? 取引先の方とお話して、困っていることを解決する提案をしているだけですよ」
直哉
「それがすごいことなんだってば」
帳簿を置いた直哉さんは私を見て、息を漏らした。
直哉
「ほんと、あの日……ハナちゃんについてきてもらって良かった」
直哉さんの口にしたあの日。
それは、直哉さんと私が……この稲山家に足を踏み入れた日のこと。
難しい顔をしていた直哉さんのお父さんを前に、直哉さんは思いの丈をぶつけた。
華族や政府に楯突くようなことはしない、ただ理不尽に虐げられている人たちを救いたい。
真っ直ぐなそんな直哉さんの言葉に、お父さんは渋々頷いた。
条件として、家業をきちんと学ぶことと付け加えられ、直哉さんはそれを受け入れた。
私はと言うと、女中として稲山家でお世話になるはずだったのだけれど、何故か直哉さんのお父さんが店に出ろと言うので直哉さんに数字や文字を教えてもらいながら酒問屋の仕事をお手伝いしていた。
直哉
「親父の見る目って、すごいよね。ちょっと会話したぐらいでハナちゃんの商才を見抜いちゃうんだからさ」
ハナ
「商才があるかどうかは別として……直哉さんのお父さんには感謝してます。とてもやりがいのある仕事を私にさせてくれて」
直哉
「このまま、ハナちゃんと2人でもっと稲山の家をでかく出来たらいいね。そうしたら、きっと多くの人を救えるようになるよ」
ハナ
「ふふ、ですね」
直哉
「その頃にはきっと、俺たち夫婦になって……」
ハナ
「め、夫婦……ですか?」
直哉
「うん、俺はそのつもり。いつか、ハナちゃんと夫婦になって、稲山家を継ぎたい」
ハナ
「っ!!」
何気ない会話から飛び出た言葉に、思わず息を飲んでしまう。
だけど、直哉さんは真面目な表情で私を見つめていて、それが冗談ではないとわかる。
直哉
「なんて、今は俺もハナちゃんも覚える仕事が多すぎるからそんなこと言ってられないけどさ」
帳簿を拾い上げた直哉さんは立ち上がり、注文票の確認作業に入る。
と、その時、暖簾をくぐり1人の男の人が帳場へ入ってきた。
ハナ
「……!! わ、若旦那様!?」
直哉
「っ!?」
私の言葉に直哉さんは、はっとして注文票から目を離す。
私と直哉さんの視線の先には、若旦那様……松乃宮清人さんがいた。
清人
「噂には聞いていたが、本当にハナさんがここにいるとは……。ああ、いや、今はそんなこと関係無いか。君が、稲山直哉さんか?」
直哉
「……そうだけど。俺に何か?」
少し怪訝そうな表情で、直哉さんは若旦那様を見た。
清人
「松乃宮が爵位返上したことを伝えに来た」
直哉
「爵位返上!?」
清人
「先日、松乃宮の当主である私の父親が急逝した。その折、父の会社が不正にまみれていることが判明したんだ。おまけに、莫大な借金まで。とても華族としての品位を保てるはずもなく、爵位を返上し屋敷を売り払った」
直哉
「……なんで、わざわざ俺に?」
清人
「君のことを、風の噂で聞いて伝えるべきだと思ったんだ」
直哉
「……松乃宮の家は、終わりってこと?」
清人
「ああ。私は母と妹を引き取って田舎の親戚に頼ることになった。すぐにでも東都を発つ。その前に伝えられて良かった。……ハナさんにも、苦労をかけてしまったがそういうことだ。もう、松乃宮の家は無くなる」
ハナ
「若旦那様……」
清人
「では、私はこれで」
必要以上の言葉を交わさず、若旦那様は早々に稲山家を後にした。
直哉さんは、そんな若旦那様の背を見て、力なく笑った。
直哉
「……あれだけ憎んでいた松乃宮が終わったんだね」
ハナ
「ええ……」
直哉
「なんか……不思議。何の感情もわかないんだ。ざまあみろとか、天罰が下ったんだとか、そんな風に思えない」
ハナ
「それは、直哉さんが優しい人だからですよ」
直哉
「……そうなのかな」
ハナ
「ええ、そうですよ」
直哉
「……なんか、よくわかんないや。今の俺にとって、松乃宮がどうなろうか関係なくなっちゃってたからかな。今はさ、ハナちゃんと一緒に……この店を経営して、貧しい人たちの役に立てるように頑張ることだけしかなかったから」
ハナ
「それで、いいんじゃないでしょうか。私も、直哉さんと同じ考えですよ」
直哉
「ハナちゃん……」
ハナ
「一生懸命働いて、救いを求める人たちのためにお金が使えるようになるといいですね」
直哉
「うん、そうだね。そのためには……もっともっと商売のこと勉強しないと。俺も、ハナちゃんも。だから、これからも俺と一緒に生きてくれる?」
真っ直ぐに私を見た、直哉さんの熱い視線。
そんな瞳に射抜かれた私の胸は高鳴った。
ハナ
「はい。もちろんです」
直哉
「……その答え聞けて安心した。さーって、注文票の確認しよっと。ほら、ハナちゃんもこっちで一緒に確認して」
ハナ
「はい!」
2人して肩を突き合わせて注文票を確認して。
こうして直哉さんと共に過ごせる時間がとても幸せだった。
いつか、夫婦になれて2人で平等な世の中が見れますように。
そう願いながら、私たちは商売の勉強を続けるのだった。
–END–
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